2022.10.13
2022.10.29
個人の生活というのはそれを切り取り客観的に眺めた時、非常に特異な物として浮かび上がってくる。 自分を保つための生活や環境は他人からすると過度に窮屈であったり又は奇異に見えるかも知れない、それは自分が他人の生活を切り取り眺めても、きっとそう感じる。
人々の生活を大量に束ね、一般化しづらい複雑な特異さをバッサリと切り落とすことが求められる集団社会と、個人(自分、あなた)の独自な生活や習慣を対比すると、きっと個人の生活の方が特異に思えてくるだろう。そしてそんな慎ましく特異な独自の生活は画一的な集団社会に入ると途端に形を変えられ瓦解してしまう。
私は宗教上の理由で酒と豚肉を飲み食いしない。
小さい頃からそう育てられ、自分の生活にとっては当たり前のことだった。だが一度外に出ると、それは決して当たり前のこととして皆が共有している訳ではなく、理解を示して貰うために伝え、また侵されない様に守る必要があった。自分の生活と画一化された社会生活との齟齬は私達の中で常に付き纏う。
今回の個展では個人の生活環境と集団社会での生活環境のズレを作者自身の教義をきっかけとして食事という部分から眼差していく。 宗教上での理由、病気の関係、好き嫌い、偏食であったりと人の食事というパーソナルな行いはそれぞれ千差万別であり、だが他人からすると何故それを食べな いのかという疑問から奇異に見られることもあるかもしれない。 そしてこういった個人の生活や習慣の中で育まれる食事の行為は、自分以外の人々が大勢いる集団社会の場に出ると途端に脆くなり、脅かされる。
人から無理矢理食べさせられそうになった時、〇〇を食べれないのは損をしていると言われた事、 休み時間になっても給食を嫌々と食べ続けている子。
日常のふとした瞬間、口元に異物が運ばれていき呑み込むかも知れない恐怖は、パーソナルかつ特異な部分を削ぎ落として振る舞う事が求められる画一的な集団社会だからこそ、互いに異物を勧めあったり、強要しあって食事を楽しむハメになるのかも知れない。
生活の中で口に運ばれていく現実を考える。
Artist : AHMED MANNAN